江尻憲泰氏の寄稿コラム前編|MOCTION(モクション)

コラム

青井阿蘇神社プロジェクトでの地域産材の利用

江尻 憲泰

江尻建築構造設計事務所

1962年東京都生まれ。
‘86年千葉大学工学部旧建築工学科卒業。’88年同大学大学院工学研究科修士課程修了。
同年(有)青木繁研究室入社。‘96年 (有)江尻建築構造設計事務所設立。
現在、日本女子大学家政学部住居学科教授、早稲田大学非常勤講師。

構造作品:
アオーレ長岡、富岡市新庁舎、静岡理工科大学建築学科棟、石垣市新庁舎ほか

文化財改修:
清水寺、善光寺経蔵、富岡製糸場西置繭所ほか

木材を通じて800年越しの
意志を受け継ぐ(2)

 この狭野すぎと市房すぎはメアサという九州南部の神社の周辺に多く分布するすぎの種類で、600年程前に神社仏閣用の木材とするために挿し木をして育てた材であることが解って非常に驚き、遠い昔の人々との不思議なつながりを感じた。我々は市房山に行き、当該木の伐採あとを見に行った。
 隈さんがこれを使おうという不思議な感覚を持っていたこと、また、その材を持っている人物と出会ったこと、“神社”という特殊なプロジェクトであったこと等、様々な縁があってこの山で来ているのだという思いからか、がっしりとした狭野のすぎの参道は、昔の人の強い意志が感じられた。

市房すぎ製材

木材1本1本の性質にあわせて利用

国宝記念館(外観完成予想図)

 狭野すぎは丸太のままということから外部に配置。製材された市房すぎは参集殿の空間を再現する柱として使う事となった。以前の参集殿は1階建てだが、本計画は2階建てのため軸力が大きいので、強度試験結果により柱の寸法を決めている。これらのストックされた木材だけではなく、参道ではないが同じ市房山から伐採した杉材を用いる事になっている。このすぎは同じ市房すぎとのことであるが、育ち方の違いか、樹齢の違いか、目の詰まり具合や色合いは藤田氏の倉庫にストックされていた市房すぎとは違う様に私には見えた。

 このすぎは垂木とする予定であるが、前段の藤田氏の倉庫の市房すぎに比べると強度、剛性が落ちるために断面を大きくして用いる。狭野すぎは丸太柱として使う。個人的には耐震的に有効であると考えるが、一般的な耐力壁に期待する木造許容応力度設計を採用し、ラーメン構造ではないので少し悩んだが、大変形時にも傾斜復元力により自重で元に戻ることを期待した設計としている。これらは材を使って行く上で構造上関係した数例を紹介した。本計画ではあくまでも地域産材を使うという視点で様々な事を考えているプロジェクトだからである。

国宝記念館(大広間完成予想図)

地域材を使うなら、
地域の自然に触れるべき

市房すぎ

 話は変わるが、未だに樹種を区別できず、木材の性質を理解しきれない筆者は、地域産材に限らず木材を使うときには、できるだけ設計段階で当該材の入手を心掛けている。包装を解いて傍らに置いておくと、反ったり、割れたり、中には数分後に勢いよく割れた木材まであった。材木屋や工務店に聞くと「割れません」ときっぱりと言われる。概ね完成し、割れた木材を指摘すると「当たり前です」と言われる。緻密さを尊ぶ国民性からか割れる事を前提として、設計や施工することはできないのだろうかと思う。地域産材を使う事が多くなるとその地域の木の性質(木材のみならず樹木)を身近に自然と知ることになり、もっと木の性質に即した建築を造ることができるようになるのではないだろうか。

隈館長による解説

江尻さんの若い日の木との出会いの話も新鮮だった。謙虚さがあることが、江尻さんの精神力のもとなのだ。

最もおもしろかったのは、木の割れについての話である。生き物である木は自然のこと、割れる。日本の古い建築でも、木の柱や梁にはたくさんの割れがある。中には大きな割れもある。それでも建物は壊れないし、地震もへっちゃらである。この不思議を近い将来、江尻さんがきっと解明し新しい構造設計論を組み立ててくれることを期待している。