旧ユーゴスラビア生まれのオーストラリア人。 慶應義塾大学名誉教授。建築および都市デザインを専攻し、母校であるベオグラード大学やメルボルン大学を含むいくつかの大学で教鞭をとり、2006年に東京大学の研究員として来日する。2009 年、慶應義塾大学の隈研吾氏の研究室を引き継ぎ、同大学理工学部の建築・都市デザイン教授に就任。 氏が設立した co+labo Radović 〔“collaboration(コラボレーション)”と“laboratory(研究室)”という言葉の略語。「プラス」記号で接続されているのがポイント〕は、環境および文化の持続可能性と生活の質のクロスポイントに焦点を当ててきた。現在の co+labo は佐野哲史博士の指導のもと、引き続き研究が行われ、長年に渡って国内外の幅広い学者や専門家が集まる国際ネットワークの拠点となっている。直近ではダヴィシ・ブーンサム教授と、より良い生存環境が得られる都市づくりを戦略的に考察する国際的なプラットフォームである co+re.partnership を共同設立し、アジアやヨーロッパの大学や研究機関へ定期的に関与しつつ、共同プロジェクトに従事している。
主要著書:
二か国語書籍(日本語/英語)
『In the Search of Urban Quality:100 Maps of Kuhonbutsugawa Street, Jiyugaoka(都市の質を探して:自由が丘、九品仏川緑道百景)』(フリックスタジオ)/『Subjectivities in Investigation of the Urban: The Scream, the Shadow and the Mirror(都市の探求における主観性〜叫びと影と鏡像)』(フリックスタジオ)/『Mn’M Workbook1: Intensities in Ten Cities(10の都市における都市の強度)』(フリックスタジオ)/『a+u 2021年11月臨時増刊/infraordinary Tokyo, right to the city』(新建築社、a+u)など
英字書籍
『eco-urbanity – towards well-tempered environments』(Routledge)/など多数
隈研吾氏から招待を受けたMOCTION”くまの輪” 御礼メールの中で、彼の構想に最も応えるために、私はどの分野に焦点を当ててエッセイを書くべきかを尋ねた。彼はいつものように手短に返信してくれた。
“Please tell about the importance of environment.(環境の大切さについて教えてください。)”
“環境”というテーマになると、これから私が書くエッセイは、今まで隈氏と私が長年に渡り行ってきた多くの議論や、一部世に出た出版物よりさらに広い文脈を扱うことになる。その文脈には、世界的なパンデミックの中で経験した、劇的な現実や、人類と既成社会の深刻な脆弱性の認識、さらに我々の生活の主要な枠組みを形作る、一見疑いのないイデオロギーも含まれている。
言葉の探求
environment(環境)について議論を展開する前に、私たちは environment という言葉の持つ意味をよく考える必要がある。
言葉とは、意味を捉えて伝えるものである。語源とは、言葉の「真実」、本来の意味を探求するものであるが、同時に私たちの生きている時代が本来の意味をどのように変節させているかを示すこともできる。その意味でいうと、私たちが再認識すべきこの言葉の起源は、1660 年代、初期フランス語のenvirons にまで遡るが、これは、単に 「私たちの周囲の何か」 を指していた。それから 200 年後には、行動を表すラテン語の接尾辞 -ment が加わり、environment という言葉が生まれた。environment はフランス植民地のフランス語や大英帝国の覇権の中で広まった英語を経て、最終的にはアメリカで簡略化された“Globish(※ globalizationとEnglishを組み合わせた造語)”が、今日の一般的なLingua Franca(世界共通語)の一語句となっている。この成立過程は、environment が 私たち の周りにあるという、深く根付いた理解を指し示している。これは和訳の「環境」という言葉でも同じことが言える。一般的な環境の定義は、自然の物理的現象を指すことが多く、私たち を取り囲む空気、水、土地、動植物を指す。《ところが人間は環境の外部にあると位置づける》人間の外在化という認識が究まると、有害な anthropocentrism (人間中心主義)へとつながっていく。
anthropocentrismという言葉もよく吟味すべきである。哲学者エドムント・フッサールは、人間中心の優越感へ転じた臨界点が、近代の最初期である“ガリレオやデカルトの時代に、世界を単なる技術と数学の事象に貶めてしまったヨーロッパ科学の一方的な在り方の中で”越えられていたことを見出した。
しかし、文学者※1ミラン・クンデラは、人間が“自然の支配者であり所有者である”というデカルト派の解釈は思惟過程の失敗を示しているに過ぎないとした。つまり、科学と技術によって奇跡をもたらした“この自然の支配者であり所有者が、実は自分が何も所有しておらず、自然の支配者でもなく(自然は地球上から徐々に失われつつあり)、歴史の支配者でもなく(歴史は人間から逃げ出した)、自分自身の支配者でもない(人間は魂の非合理的な力に導かれている)こと”に、突然、気づいてしまったことを意味していた。しかし、神がいなくなり、人間が所有者でなくなったとしたら、誰が自然の所有者になるのだろうか? この惑星は、所有者もなく、虚空を移動していることになる。そこにあるのは “※2存在の耐えられない軽さ” というわけである。
存在に対する支配力の皮相的な状況は、私たちが生きている現実を言い表している。
※1 ミラン・クンデラはフッサールのデカルト批判の講演内容を自著『L’art du Roman(小説の技法 1986)』の冒頭で引用している。
※2 ミラン・クンデラの代表作『Nesnesitelná lehkost bytí』の邦題。映画にもなっている。
このような《世界を単なる科学現象に貶めようとする支配的な》状況を変えるには、明らかに異なる認識《人間が自分自身も環境を構成する一つと見なせない〈編集〉》を見直し、environment(環境)という用語の使い方を慎重に(再)定義する必要がある。繰り返しになるが “action(行動)” を強調し適正化する必要がある。しかも極めて特殊な action (行動)でなければならない。
今日において “environmental awareness(環境意識)” として知られているものは1950年代後半に出現した。この時期に生態学や社会科学は、狭義の “進歩” によって被る、私たちが生存している場所の※3物理的・社会的構造の悪影響について、情報に基づいた状況把握を導入し、普及し始めた。その結果生じた cry(叫び)は、人々を動員する重要な用語 “crisis!(危機)” の中に組み込まれた。
※3: 筆者ラドヴィッチ氏は、ここで人間の生存環境の悪影響について、公害や自然破壊といった物理現象的側面だけでなく、戦争状態や政治体制、消費行動や貧困問題といった社会構造的側面がもたらす悪影響についても言及している。
“crisis(危機)” とは、私たちが習慣的に「個人、集団、あるいは社会全体に影響を及ぼす不安定で危険な状況につながる、あらゆる出来事や時期」を指しているが、その語源は、またしても複雑さを指し示している。この用語は、15 世紀初頭にヨーロッパ諸言語に広まり、ギリシャ語の krisis に由来しているが、現在のグローバルな使い方とは大きな違いがある。原語(インド・ヨーロッパ原語のさらに深いルーツに由来する)は、転機 を指し、質的な変化をもたらすことができる判断と行動を意味する。したがって、crisis (危機)とは「物事の極めて重要な、あるいは決定的な状態であり、良くも悪くも変化をもたらす」のである。そこには責任も含まれている。
《 crisis 本来の意味である〈編集〉》何が正しくて何が間違っているかを判断し、それに応じた行動が必要であることは、人々の抗議運動《を言語化する際〈編集〉》に鍵となる役割を果たしてきた。重要なのは、それが環境面における社会生態学的な危機に対する政治的解釈や、思想的起源の出現と覚醒にほぼ成功した※4 international な1960年代においてのことで、単なる選択ではなく、対応力をともなった責任ある行動が不可欠だったからである。
※4: 1960年代の世界的な社会大変動を指している。1960年代は日本においても新宿騒乱や東大安田講堂事件など安保闘争が発生している。
MOCTION のウェブサイトに掲載されている紹介インタビューで、隈氏は、パンデミックがもたらした社会を深く洞察し、最終的に、木材利用とは“効率を取るか、木を使うかという問題ではなく、むしろ私たちの効率の定義自体が変化しているという事実について考えるべき”という解釈で締めくくっている。
環境と文化に配慮した責任ある開発という最も広範なテーマに対し、私たちが使おうとする言葉の定義や、一般的に受け入れられている意味は決定的に何が重要であるかを問うているが、その意味を定義するのは 誰か? 定義を課す権限を持つのは誰か? そして、疑いの余地のないように見える支配的な定義は誰の利益になるのだろうか?
科学哲学者トーマス・クーンは “新しいパラダイムを構築する際、古いパラダイムで開発されたツールを使うことができない。なぜなら、古いパラダイムで問われていた問い自体が間違っているからだ” と語っている。私たちが何かの価値を判断するためには、明確で、根拠がしっかりとし、はっきりと定義された批判的立場を確立する必要があり、問い直すほどの強さを持たねばならない。
このテーマを詳しく言及する文字数に限りがあるため、これまでの議論の趣向を提供し、(悲しいかな、時代を経ても薄れていない)関連性を示唆するいくつかの本のタイトル(私の好みで著者別にアルファベット順で並べた)を列挙する。
※4: 1960年代の世界的な社会大変動を指している。1960年代は日本においても新宿騒乱や東大安田講堂事件など安保闘争が発生している。
『Society of the Spectacle(スペクタクルの社会)』(ドゥボール、1967年)、『Limits to Growth(成長の限界)』(ローマクラブ、1972年)、『The Critique of Everyday Life(日常生活批判)』(ルフェーヴル、1947 年)、『Urban Revolution(都市革命)』(ルフェーヴル、1970年)、『The Shallow and the Deep, Long-Range Ecology Movement(シャロー・エコロジー運動と長い射程を持つディープエコロジー運動)』(ネース、1973年)……。
木という方法論
その意味で、隈氏の構想は極めて具体的ではあるが、もっと広い意味での action(行動)への呼びかけでもあり、木材の多層的な再発明がトリガーとなる。これは定量化が可能で “正確” な視点と、思考、創造、生活空間といった定量化が不可能で、人間的な側面という、両方を見渡した新しい方法を探求しようとする衝動であると理解できる。
これらの問題に対する私たちの議論は特別新しいものではない。2007年、私は、オーストラリア、中国、デンマーク、インド、インドネシア、イスラエル、日本、シンガポール、スペイン、タイ、イギリスから、建築、ランドスケープ、都市デザイン、都市計画の第一線で活躍する学者や実務家に、eco-urbanity symposium(エコアーバニティ・シンポジウム)への参加を呼びかけて、東京大学の cSUR展へ招聘した。その中には同僚や友人、隈研吾氏もいた。
シンポジウムと後の論文集『eco-urbanity hypothesis: Towards well-mannered built environments (エコアーバニティ仮説:マナーの良い建築環境をめざして)』(Routledge, 2009)において、隈氏は“Bringing back nature and re-invigorating the city centre(自然を取り戻し、都心を再活性化すること)”というタイトルで、都市に自然と歴史を取り戻すことを主張した。隈氏は KKAA(※Kengo Kuma & Associates 隈研吾建築都市設計事務所の略称〈編者〉)の実際の立派なプロジェクトを豊富に紹介しながら、自然を取り戻すための効果的な方法は自然素材を使うことである、というものであった。
この一見単純な主張は皮肉に基づいている。読者は、東京がかつて、主要な建築材料であった木材という 制約 の中で、建築表現が生み出された “都市” であったことを思い出したからだ。すべての自然素材がそうであるように、木材もまた、建築的な特徴だけでなく都市全体の特徴の定義に寄与する特定の 積極的な制限 を体現している。建築物や街路の規模は決定し、最終的に人間のサイズに合った環境を生み出した。隈氏は、東京の建築文化全体が、建築に使用される木材の性質の制約から生まれたものであることを、私たちに気づかせたのである。彼の指摘は、コンクリートが導入されたことで、そのような制限がなくなった結果、東京の個性が台無しになり、ヒューマンスケールが失われ、東京の人間的な本質がすべて破壊されてしまったというものであった。木を都市に再導入することで、東京独自の文化を再生する希望が見えてくる。建築のスケールでは確かにそうであるが、同じような理論が都市生活にも当てはまる。20 世紀の都市計画では拡張と機能的なゾーニングが主なテーマであったが、21 世紀には、多様な中心都市機能を一つに結集し豊かで多目的な空間の再生が目指されるべきだと彼は提言した。
このエピソードは 15年以上前のことである。隈研吾氏の2023年の構想は、当時の理論をより高いレベルに引き上げるものであり、最も期待できる点は、東京都をはじめ多くの関係者による手厚い支援にある。これらの支援は、環境的・文化的に対応し、責任ある、環境的・文化的に持続可能な空間の創出において、大いに必要とされる現実となり、パラダイムシフト目前の雰囲気さえもたらしている。“パラダイムシフトは突然訪れ、革命的に世界を変える” とクーンが語っていたように。
2007 年のエコアーバニティ・チームの主な役務は、より広範なレベルで、共通の学術的・文化的境界を越え、共に考え、今日の持続可能な実践を構成するものにつき、より良い理解を深めることであった。この実践には、環境に対する責任と文化的な配慮を同時に受け入れられる能力が備わっているべきだと私たちは主張した。この主張は地域に責任を負い、ひいては世界とつながることで、かつて私たちがエコ・アーバンティ理論と呼び、後に慶應義塾大学においてラディカル・リアリズムの実践として研鑽されている研究分野を導く、思索と行動、両方の一助となっている。
イラストレーション – 木材のエトス
上記の解釈は、大きく異なる2つのプロジェクトを用いて示される。場所(周辺/中心)、大きさ(小さい/大きい)、用途(プライベート/パブリック)、目的(密接/グローバル)、存在感(控えめ/大らか)などがまったく正反対であるにもかかわらず、両者は、感性の一体感を伝えている。その一体性は、木材の精神にあり、それが村井美術館と東京オリンピックスタジアムにおいて、この取り組みを解釈すべき言語を語らせている。その組み合わせは、深く、文化的で歴史的であり、過去を振り返りつつ未来を見据える、木材を通じた未来志向の思索である。
後記
このエッセイでは、wood(木・木材) とは何かについて論理的探求を扱わなかった。
そこで提案なのだが、この wood に関する考察に関心のある方々は、3~4 語以内(必要ならばそれ以上でも)で簡潔に回答を送って欲しい。私たちにとって新たな探求を生み出す助けになるかもしれない。wood はきっとあなたの回答を正しい方向へ導いてくれるだろう。それによって新しい思索と行動が生まれ、21 世紀における木材のあるべき姿と到達点を指し示せるかもしれない。
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