あきがわ木工連さんのMOCTION | 国産木材を活かす繋げる|MOCTION(モクション)

あきがわ木工連さんのMOCTION

木と子と向きあって命をどう育てるか

あきがわ木工連/デザイナー

佐藤 眞富さん

去年から木育をやり始めて、今は大体30人ぐらい。月1回、集まってきてもらって親子木塾を開いてたりしてますけど、僕はそんなに子供に興味がなかったんですよ。ただ、多摩産材を伝えなきゃならないのは誰だろう?と思ったときに、いちばん純に感じてくれるのは、やっぱり子供だろうと、スタンスがちょっと変わったんですね。

変わった大きなきっかけが僕には一つあって。今のパパたち、ノコギリ持てない、現実的に。小学生のときに持った事あるんだろうけど、丸太を切れない。例えば、いちばん先に「ノコギリ持つ」っていう風に寄ってくるのは、やっぱり子供たち。その次がママ。だけど、パパは100人中5人ぐらい。これが現実。基本的に刃物って切れるようになってるけど、ただ作法があって、それを小学校のときに教わってないんだよね。

そう考えると、親の世代を何とかしないといけないけど、親を変えるには何がいいかというと、まず子供の目を変えるってこと。だからウチは3歳から、刃物持たせます。

我々はモノを作る立場ですから。僕らがやる木育っていうのは、やっぱりね「木の命と、子の命」これをどう考えるかっていうのが、もの凄く大切な、大きなテーマだなと僕は思ってるんです。

木をちゃんと活かすには
製材所も工房も人も活かす

モノづくりの会社を立ち上げましょうって言って、山の麓に隣在してる、木工でモノづくりができる職人さんたちに一緒にやっていきましょうという話を広げたんですけど。「それで食べていけるのかい?」という当たり前の話で、最初はわずか4軒。4軒なんですよ。

その時には平均年齢が70歳。そうは言っても職人の現役なわけです。みんなその年代、丁稚奉公から始めてるので、非常に引き出しが多いんですよ。今の若い大工さんたちとは違って、非常に道具も豊富に持ってるし知識もある。

時代の流れから合板に変わっていきましたけど、元々は彼らも、いわゆる無垢材を使ってたわけですよ。ここの強みは、多摩産のいわゆる無垢材を使っていくわけで、地産地消という形で東京で使ってくださいという、そのためのモノづくりになるわけですから。彼らもやっぱり最後には、無垢の仕事をしたいよと思ってくれたわけです。

たまたまなんですけど、集まった4軒のうち3軒が、息子が手伝っていた。引き継いでいくということを、ある程度想定に入れたときに、きっちりとした職人のイロハを教えていくにはね、無垢という素材をどうやって吟味するかっていう、木の見方から教えていかないといけないでしょ。そういった部分も含めて、多摩産材でモノを作りましょうっていう木工連の話は、彼らにとって大きな価値だったんだろうと思いますね。

そこからもう6年半ぐらいかな。1年ごとに売上は右肩上がりになってきて、いくばくかの利益には繋がってるかと思うんですよね。今、10軒ぐらいになってるかな。

木はずっと山で成長していくわけですから、この木をちゃんと活かしていくには、製材所も工房も人も活かしながら繋いでいかないと、お話にならないんですよね。そこら辺を「作る、繋ぐ、使う」という、そういうコンセプトの元に、木工連を立ち上げたわけです。

無垢の魅力に職人がのめり込むそれが仕事に活かされる

ハッキリいって無垢材を取り扱うようになってから仕事は伸びました。だから街の工場の人たちも、できれば無垢材に手をかけてほしい。職人として無垢の良さをちゃんと表現すれば、食えるようになるし、必ず市場は向いてくれるから。そういう話を、僕は町場の職人さん達にしたいなあ。実際それでやってるからね。

まず、無垢は難しいやね、職人さんたちがね。無垢の木を切る場合にはどっち方向から切らなきゃいけないっていうルールがある、作法がある。木が痛がってたらダメなんですよ。木は切られて気持ちいいという風に言わせなきゃいけない。それには天から刃物落とすか、地面の方から刃物を落とすかによって違うんだよね。そういうこともノウハウとして、ぜんぶ覚えなきゃいけないし、経験を積まなきゃいけない。

経験を積むと木は魔物で、その魅力から職人を離さなくなる。どんどんのめり込んで、それが仕事の中に活かされる。だからうちの会社以外でも無垢の仕事はどんどん増えてきてる。ウチの会社だけでは大した伸びじゃないかもしれないけど、でもその土台を作ったのは僕らだと思うなあ。

品質の上に品格がある
だからひと手間かける

僕が職人さんに話してるのは、手間がかかるとか手間賃がどうとか「手間」ってあるでしょ。100のものを100で作るのは、職人としては当たり前なんだから、もう一手間かけろということ。その一手間かけることが物の品質の、品格を上げることになる。そこは銭勘定に入れないでやって欲しいと。使ってくれてありがとうの感謝の気持ちで、ひとカンナかけると、それだけで違うんですよヒノキは。品格が違う。120の仕事をしないと繋がらないんですよ。

うちは子供の五感が相手なんだよね。使い手の五感に訴えかけるなら、質の良さというのは、もう離れられない宿題なんです。そこに「手間」っていうものをかけろと。品質の上に品格ってのがある。日本人の職人の仕事ってみんなそうだよハッキリ言うと。ましてやウチは大量生産じゃないから、それはしっかり守んなきゃいけないですよね。

そういうやり方でやってるから、保育園でもどこでもそうですけど、1回付き合い出すと、どうしても長続きになっちゃうかな。アレ直して、ココ直してとか、、他でやったようなのも含めてうちに手直しが来たりするんですよ。ウチはそれもやってあげる。そういうことを考えていくと、お客さんも離れない。

誰が使うか顔が見えれば
職人として意識が変わる

僕が、職人さんに絶対ここは踏み外さないで欲しいって言う部分は、町の木工屋さんに徹しろということ。隣のお婆ちゃんがコタツの足が緩んじゃって「どうしましょう」っていう風に頼ってきたら、それはチョイチョイと直してあげなさいと。それが昔は、町場の木工屋さんの仕事で、この地域の面倒をみてきたわけです。それが大切なことなんだと。

単純に業界の幅を広げてお得意さん達をあっちこっちに設けて、ハイ仕事くださいとやってきた時代なんだけど、基本を外しちゃいけないのは町場の隣のお婆ちゃんの言うことを聞こうと。そういう仕事もしようと。これを外すとね、木工屋さんとして成り立たなくて、ベニヤに走ることになる。

自分が作ったものを誰が使うかわからないというのは、この世の中にいくらでもある。ウチは別注だというのもあるんだけど、納品は俺も職人さんも行こうと、運賃は出すから。そうすると顔が見えるでしょ。顔が見えて、そこに例えば子供たちがキャーキャーまつわってくるとすれば、「この子が使う椅子を、作ってるんだよ」というだけで、職人さんの感覚が全然違ってくる。面取りを一つするだけでも、絶対ケバが立たないように、もう一回キッチリとペーパーを当てるとか。子供の顔がそこで浮かんだら、そりゃすると思う。それが、余計に一手間かけるっていうことなんだよね。

木工屋さんとして技術屋さんとして職人として、意識が変わってくる。そういう風に、若い職人さんを工房の中で育ててもらえるように、こちらの方でも段取りを用意してるわけです

木育するならストーリーのある建物に

3年ちょっと前かな。東京都で木育をやります、という話があって。最初ウチは、木育をやる気はなかったわけですよ。ハッキリ言って儲からない。子供たちや大人たちを集めて、色々やっても基本的に儲からないし、モノを売ってる方がいいわけですよ。

ところがまあ、1年ぐらい経ってからかな。この辺では誰もやらないらしいよという話になって、周りからも、そういうことやるのは、佐藤さんしかいないだろうって話になって。で、ウチは、そう言うならってことで東京都の森林課に行って「じゃあやりますよ、ウチが」って言ったんです。

そこから半年くらいかな、場所を探して3軒ぐらい当たって。ここが一番きれいだった。それで、引っ越してはみたものの、ここの家は7年間人が住んでなかったので、裏の山の方からの湿気が多いし、前が川だし、床下がもうぐっちゃぐちゃだった。

そこから改修しなきゃいけないじゃないですか。柱という柱の下を全部切って、新しくヒノキ組んで、根太を全部張り替えて、床材を全部敷いて。その床材も、ちゃんとしたストーリーが言えるように、板厚30ミリの杉の板を、全部張ったんですよ。

他にも色々やりかえて、1年かかったかな。700万の大工事ですよ。それでようやく人が呼べるようになったんですね。

ちゃんと刃物を使わせないと
木が利用されることはまずない

あの、肥後守って知ってますか?ナイフなんですけど。刃物ですから、まあ使うと危ないわけなんです。だから使う前に、神棚を前にしてちょっと儀式をひらいて、「痛いでしょ」っていうことを、まずちゃんと教える。それで、神様にみんな約束をする。刃物の神様という風に仕立ててね。

みんな二礼二拍手をちゃんとやって、それからじゃあって鉛筆削りをやらせるわけですけど。そんな最初からうまく切れないですよね。だけと姿勢があるんですよ。股を開いて、前かがみになって、腕を膝に載せて、曳くと。押すんじゃなくて曳く、という事を少しづつ教えていく。

教えても1本削るのに30分かかる。そしたら、その30分間は、子供は一言もしゃべらない。ものすごい集中。だから、ママたちはうちの子はぜんぜん集中力がないっていうけど、そういう事じゃないんです。それは教え方の問題であって、きっちりとそういう事をやらせれば子供はやるんですよ。やるって事はやらせてないから。何かっていうと危ないでしょうと言って、刃物を持たせようとしないわけです。それがまあ現実。

でも、そんなことやってたら、とてもじゃないけど日本の子供たちは、どういう事になるんだろうと思うわけです。もうAIの時代が間近に迫っていて、じゃあ人はどこで勝負するのかって話なんですよ。これから求められていく大人っていうのは、どうなってくんだろう?というところに、木育というのをきちんと入れていかないと、木が利用されることはまずないと思うんです。

実際の暮らしの中にどれだけ
生きた無垢の木があるのか?

この前は、まな板づくりをやったのね。銀杏のまな板なんですけど、一級品なんですよ。それで、銀杏ってどういう木なの?どうして一流の料亭は銀杏のまな板を使うの?というのを、この前は宿題にしたんです。

今回は、自分の家にどんな木の道具があるかを調べてきてねって宿題を、親たちに出したんです。その木の素材が何なのかも、全部調べておいでって。銀杏のまな板はみんな持って帰ったから、それは家にある。たぶんテーブルが木です、椅子が木です、ベッドが木です、って言うかもしれない。だけど、それはどこで買ったの?って聞いてくと、ちょっと待って、それ合板だよって話になってきたりしますよ。

暮らしの中に木を活かしましょうっていうことを、色んなところが散々言ってるんだけど、実際にじゃあ、普通のマンションに住んでいる、今のママたちの暮らしの中で、木が本当に必要なんだろうかと思ったときに、木なんかなくったって生きていけるかもしれない。

生きてる無垢の木が、暮らしの中にいかに存在していないかっていうのを、まず僕ら自身も把握したいわけですよ。実際に、2人ぐらいの子育てしてる今の夫婦がね、木をどういう風に暮らしの中で活かしてるんだろうという原点が、まず僕らわかってないんです。

子供たちが川の中を探検する
パパやママも一緒に入る

例えば成木にしていくためには、50年かかるわけですよね。そこには全部人の手間が入ってるわけです。そういう事も含めて「三つ子の魂、百まで」って昔の人はよく言ってますよね。現実そうなんです。今、キッチリと教えていかなければいけないものがある。

生きてる物の命を大切にして向き合うには、子供はいいんですよ。川にほっぽり投げておけば、一日中遊んでる。それはいいんです。だけど親が問題なんです。最初のうち、親に怒ったこともありました。

塾で探検するわけですよ。川の中に入って、川の上から縦断しようって。岩があったり、流れが急だったり、ちょっと危ないんですよ。雨降った翌日はね、川の水も冷たいし、流れはもっと急になる。たまたまそういう日に親子木塾がぶつかってしまって、でも行こうっていって200m縦断したわけです。お腹まで水に入ってね。

ところが川に入りたくない子供たちとかは、慣れてない。川はハッキリ言って滑りますよね、危ないといえば危ない。だから、ライフジャケット着せながらやるわけです。でも、着たんだけど途中で「ボク無理だ」って言う子もいるわけですよ。おっかなくて。

それを見てママは必死になって、頑張れ頑張れとか言うんだけど、そりゃ無理なんですよね。だから我々が付き添って、一番終わりのところにママが待ってて、その子はえらい苦労して泣きべそかきながら、ママのところまで渡っていったわけですよ。その時の一人ひとりの感想の中で、その子が言った事は本当に単純なこと。「これでボク、川と友達になれた」って言ったんですよ。4歳の子が、そんな名言を!って思ってびっくりした。

非常に大きなハプニングもありますけど、その中で子供たちがもう、ほんとに楽しんで体感しながら、しっかり学んでいく。でもそれを、ママたちがガードレールの上からパシャパシャ写真撮っているから、何をやってんだって思うわけですよ。うちへ帰って何を話すの?水が冷たかったとか、おっかなかったとか、あの流れが急だった、滑った、っていうところを共有できないわけでしょ。

その次の週からは、全部ママたちも入る。そういう風にして、最近では子供たちと一緒に、ママたちもパパたちも全部やるようになった。今度、ベランダも作りましたけど、これもパパたちが作った。簡単な作業でしたけど、まあそれでも出来上がって、少しづつ親たちも変わり始めたのかなあという風には思ってるんです。

こんな風に、ウチに来てくれる子供たちはまだいいんですよ。でも、多摩川に入っちゃいけないし、川に入ったことないような子供たちが沢山いるわけですよ。そんな子供たちにも、いろいろと体験させたいとは思いつつも、仕事やりながらですから、月一回ぐらいしかできないわけですよ。それをどうやって展開しようかなあというのが、今後の課題かな。

命に対する作法は
木に対する作法と一緒

ここで色々やってみて、子供たちと向き合ってるとわかるのが、子供は木の自然の命と黙ってても会話してます。黙ってても大丈夫なんです。塾に来た親たちの世代にも、この養沢という場所を好きになって欲しい。ほんとに丸ごと自然だから。川に降りてみれば、わかりますけど、ここにはマスもいるしヤマメもいる。まあ、きれいな水なんですよ。

この前、夏休みだからというので、川にマスを放してみんなでつかみ獲りしたんです。肥後守で腹を裂くところもやらせて、内臓もぜんぶ説明するんですよ。それを塩焼きにして「命いただきます」というテーマでやったんですけど。

ところが魚をキレイに食べるっていうことを、みんなやってないんですよね、いつも切り身だから。でも1匹のまんまでしょ。頭があって尻尾があって骨があって、こういう風に食べなさいって、その姿図を書いて。身は全部キレイに食べなさい、キレイに食べた子には賞品あげますって、1等2等3等まで用意して、塩焼きを食べた。それでママ達に聞くと「あんなにキレイに食べたことはない」って言うわけ。普段はもうバッサバサ、身だけ食べて終わりみたいで。

そういう子でも競争させると真剣に舐めるように食べるわけですよ。だから、大切なのは「命いただきます」ですけど、そこの中で命に対する作法ということをやるわけです。これは木に対する作法も、実は一緒で、そこをちゃんと子供のうちから学んでいかなきゃいけない。それが我々の木育の基本的な理念なんです。自然と向き合ってきたという、非常に大切な倫理観を、今のうちからちゃんと身につけてねって。日本人が生きてく根っこですもんね。

親は言葉が出なかった
4歳の子が口にしたこと

子供たちと向き合ってて、とんでもないなと僕が思ったことが、もう一つあります。イベントの合間があって、子供たちにちょっと暇ができたんです、15分ぐらい。そしたら4歳の男の子が3人、下の川に降りていって、小石あるし、川流れてるし、石投げてもいいわけで、ポチャーン、ポチャーンってやってるんです。

それで、僕は聞いたんですよ、上のガードレールのとこから「石投げして楽しいの?」って。そしたら1人の子が「楽しくないよ」って言うわけです。はっきり言って時間を持て余してる。そしたら「楽しくないよ」って言った隣の子がこう言ったの。「楽しくないけど幸せなんだ」って。

僕はそれでビックリしたわけ。4歳の子がそんなこと言うんだって。「楽しくないけど幸せなんだ」っていうのは、家庭の中でも「アレやっちゃダメ、コレやっちゃダメ、石なんか絶対投げちゃいけない」って言われてて、でもここは自由に投げられるんだって、泳いでる魚めがけてポチャーンってやってるわけですよ。

「楽しくないけど幸せなんだ」っていう言葉ってどういうこと?こんな言葉出るかい?って、僕はその子の親に伝えたんです。そしたら向こうは、言葉でない。親として言葉でませんよね。都内の高層マンションに住んでる親だから、お金がないわけではないでしょうけど、でもその子はそう言ったのよ。大人として愕然とするよ、これは。みなさんも子供がいたら、そんなこと絶対言わせないようにしてほしいなあ。