ちゃんと手入れされた森にはいい光が入ってくる
中島林業/林業家・山主
中島邦彦さん(写真右/父) 中島大輔さん(写真左/息子)
邦彦 明治の廃藩置県あたりの無計画な乱伐で一番山が荒れた時代、洪水を防ぐのに植林しようって運動を発してから、どんどん山の人たちに木を植えさせたけれども、現実は皮肉なことに、成木になっても伐れないで山が荒れてしまった。
最近、増えてきてる入山者でも、手入れされて光が入ってくる健全な森と、本当に真っ暗な森との対比が分かるから、そこで何か自分たちの水源だとか、大事な治山治水の生命線だっていう意識が高まってほしい。そうなれば無関心でいられないんだよ。
森林が健全になるためには、やっぱし一番大事な森林の循環を保つ仕組みをしっかり位置づけないといけない。市場へ運んでも採算がとれないような時代になってきたからね。その辺がうまく回るような仕組みをみんなで考えないと、ゴミの山になっちゃう。宝の山どころじゃなくてね。
一番注意しなくてはいけないのは、内装を木質化するわけでしょ。自然素材のまんま使おうっていう意識がどんどん薄れてきているわけ。環境と健康にすごく密接な連鎖が当然あるわけだから、二酸化炭素を吸収して固定された木材をそのまま使うっていうのは、今まで伝統的に守られてきた技術を継承すればできることだよね。
切り捨てられるために
植えてるんじゃない
大輔 全国各地に、山林持ってる人っていっぱいいるじゃないですか。だけど持ってても、もう自分でできないからやってくんないかっていう話があって。ここの所有者の方も70歳ぐらいなんすけど、それでやらしてもらってる。ちょうどウチも隣接地に現場があるから、お互いウィンウィンじゃないですか。
森が荒れてるからまずは整備が必要だよねと。山から出せないけども森を元気にさせようよっていう切り捨て間伐も必要になるし。自然の生態系をあんまり壊さずに使うってなると、山を壊さない状態で木が出せれば一番理想的。だけどそんな出せないわけですよね。道がないと担いで出すかっていう。
ウチは、木材生産もしながら森林も良くしながらやろうよっていうのを、親父と二人でやってる。暗い森の間を切って、明るくして光を当てて植物を育てようと。その中で、切り捨てないで出そうよっていうやり方。
もともと植えた人たちは、切り捨てられるために植えてるんですかっていう話。植えた人たちは必ず目的あるわけじゃないですか。木材だったら使うためって。それを切り捨てるっていうのはいかがなものかなって、山林持って昔から山やってきてる家系なんで、それ考えると、いや捨てらんねぇだろうと。
山を知らない人たちが入りやすい空間をつくる
大輔 東京でやる林業ってのは、全国的な木材生産の林業ではないと思うんですよね。全国に比べても森林が少ない方ですからね。だから、皆伐とかっていうよりは、少しづつ出しながら、出来上がった空間を都民に開放して利用してった方が、知らない人たちが入りやすいんじゃないのかなと。癒しの空間とか、環境学者のフィールドとか。
近くの小学校のちょうど裏に、山林の所有者さんがいらっしゃって、手放したいけど自分の所有地がどこか分かんないから見てって言われて、見てあげたらすごく良いところだったんですね。そこをたどっていくと昔、小学校で学校林として利用されてた。
そういう所だから、これ今は木材として利用できないかも知んないけど、間伐して綺麗にすれば、子供たちの遊び場になるからやりましょうよって言って、3年前からやってて。それもう、かなり人が来るようになって、先日も小学校の先生の講習やったりとか。そういう使い方のほうが、むしろこっちに入って来やすくなんじゃないのかと。
今回でいうと校長先生がすごく関心持たれて、いろいろ案内していったら先生も林業の課題に気づく。すると、やる気スイッチが入る。その先生が子供たちに教えれば、子供たちもスイッチ入りやすいですよね。
伐った木がどう使われてるか
すごく知りたい
大輔 自分が伐って、出た丸太を市場に運びますよね。それでおしまいってのがほとんどなんですよ。でも伐った我々からすると、その木がそのあとどういう風に使われてるのか、すごく知りたいわけですよ。
お客さんにつながった時に、こういう風に使ってくれるんだって分かれば、やっぱりこっちもありがとうの気持ちになるし、向こうもどっから来たのか、たぶん今、ほとんどわかんないと思うんですね。木の切り株を見たとき、切り株周辺の森が素敵な森になってるのか、1本も生えてないのか、それとも世代交代して新しい植林をされてるのか、色んな姿があると思うんですね。それを消費者の方がどういう風に思われてるか。
全てが全て間伐材でもないですからね。全てが全て皆伐っていう方法でもないし。多摩産材はどういった森から出てきてるかっていうのを消費者の人に届けられれば。そこら辺、もう少し消費者の方が森を見ながらできたら、多分もうちょっと距離感も繋がるし、この仕事の意義とか意味とかね、災害を防ぐ機能があるんだよとか、空気をきれいにするよとかっていうのが、もう少しわかりやすくなるんじゃないのかなぁって思います。
木を育てるより
人を育てる方が早い
大輔 手ごたえはメチャクチャありますよ、学校の先生が変わり始めたってのが。一昨年ぐらいに知り合った先生が小学校5年生の社会科を担当されてて、授業を6時間やるのにネタが見つかんないから教えてくださいって。いろいろ教えていったら、時間が足りない気分になるじゃないですか。
で、7時間目だか、生徒の研究発表授業みたいのをあてがってくれて、ちょっと呼ばれて見に行ったら、もう感動しちゃいますね。もう涙が出そうなくらい子供たちの反応がすごいんですよ。
「じゃあ何で日本は国産材もっと使わないんだ」とかね。「海外では砂漠化してるところがあって輸入があって、自給率こんなに低いなんておかしい」みたいな。子供たちがそう思うんだから、先生がその年代の子たちに種まいておけば、10年経てば、現場で働ける人間になる可能性が充分にあるわけですよ。
そう考えると、小学生たちを教育してった方が逆に早いんじゃないのかなみたいな。時間かかるけど、でも木の成長と比べれば早いかなみたいな。年齢とか関係なく関心を持っていただけるのが一番なんですけどね。だけどやっぱり残された環境で暮らしてくのは、若い世代の子たちなわけで。いい環境をどれだけ作って残してあげるかっていうのが、基本的なところになるかなぁとは思います。
色んなことを教えてくれる
森の懐は広い
邦彦 学校の子たちに森林の話をしてるのは、一つの種まき。人と森林が遠ざかっちゃって、疑似体験みたいなイメージでは分かってんのかも知んないけど、実際、中に入って森林の環境を感じることないでしょ。非常に懐が広いんですよ、森林は。
学校の教育の科目は全部、角度を変えれば森林の切り口から見える。本物の自然に教わりながら学問ができるって感じかな。赤ちゃんから、それこそお年寄りまで受け入れて、癒しだとか色んな恵みを学べる。その人が持ってる興味の切り口から森林見てもらえばいいし、まずは楽しくなくちゃ来ないでしょ。
林道を作る作業なんかも、人と森を繋げるアプローチとしては最高の環境作りに繋がると思うんだよね。ハードル低く感じて、人が直接森に入れると、近くなって森林の様子がわかるし。フル装備で登山靴か何か履いて準備するっていうよりも、気軽にちょっと入れるって感じ。
森林自体がね、自分たちの生命線の一部にあるわけだから、それを全然無関心でいることが不自然、うん。入り口はだから、まずは楽しめる空間を利用してもらうってことだよね。森林の恵みを上手に利用する仕組み作りっていうのかな、それが今はどんどん進んでるんじゃないかな。
都市の1分1秒で暮らす世界から
100年サイクルの山へ飛び込む
邦彦 全国の森林なんかの利用の方法も、木材生産は正面からぶつかった従来の正攻法だと思いますけども、それが「森林の恵みを訪ねて」とかっていう感じになると、どんどんマニアが入ってくるわけ。
おそらく山岳マラソンなんかを通じて枝葉がどんどん広がってんだよね。だから土地勘がある程度できたりすると家族で来たりしてるのが、現実だね。それはもう、ゴミとか火事とか事故に気をつけて、森林に入ってきて楽しんでもらえればなお結構だよね。
散策でも何でも山に入ってきた人は、やっぱり何かを求めて、意識持って入ってくるんだと思うけどね。すごく清々しく帰るっていうかね、それはもう体で感じて顔に出てくるよね。
だから普段、相当ストレスがたまってるっていうか静電気を持った生活をしてるってことだよね。アースするとこがないっちゅうか。都市の1分1秒で暮らす世界から、100年サイクルみたいな世界へ飛び込むわけだから、何かそこに精神的なショックっていうか、インパクトがあるんだろうね。都市と山だと、時計の周り方が違うからね。
逆に、森でそういうことしたいんだけど、どっかありますかっていうガイドみたいな窓口に、しっかり行政が入って立ち上がれば面白いんじゃないかな。なかなか民間じゃ難しいでしょ。