進士 五十八(しんじいそや)
1969年東京農業大学農学部造園学科卒。農学博士、造園家、東京農業大学名誉教授・元学長。福井県立大学名誉教授・前学長。日本造園学会長、日本都市計画学会長。日本農学賞・読売農学賞、内閣みどりの学術賞、紫綬褒章。
主要著書:
日本の庭園(中公新書)/日本庭園の特質-様式・空間・景観(東京農大出版会)/日比谷公園100年の矜持に学ぶ(鹿島出版会)/緑からの発想-郷土設計論(思考社)/緑のまちづくり学(学芸出版社)/グリーン・エコライフ(小学館)/風景デザイン(学芸出版社)/ルーラル・ランドスケープ・デザインの手法(学芸出版社)/アメニティ・デザインーほんとうの環境づくり(学芸出版社)/進士五十八と22人のランドスケープアーキテクト(マルモ出版)ほか多数。
木の時代への憧れ
“われわれ「鉄の時代」 の人間は 、「木の時代」に憧れている”と、『バビロンの庭―自然という名の幻想』(B.シャルボノー著、鷲見・原訳、思索社、1974)は、かく。
シャルボノーから半世紀、「木の時代」への憧れは大都市の高層建築においても実現しつつある。そこで私は、私なりの「木の時代」のあり方をかきたい。
読者のみなさんには木は「木材・木造」のことだろうが、しかし木は「生きている緑」すなわち「樹木」のことでもある。緑Greenの語源は、アーリアン語のghra(生長するの意)だからグリーンは生命第一の心であるし、庭園や公園、さらには「農」や山林、山河にもつながる。
隈先生も「庭の時代」を桂離宮論で展開されているし、私自身も都市化の弊害、都市病理を救うため21世紀は都市の農村化が不可欠と『農の時代』(学芸出版社,2003)をアピールしてきた。
専門家が陥る職業病
AIがすすみすぎ Chat GPTを大学人は問題視する。多様な専門分野が自己中で文明論を語れば斯くも百花繚乱。凡そ現代文明は、専門分化で特化した高度専門技術の成果だが、それぞれの成果が混合するだけの段階で、化合し安定化するにはもうすこしまだ時間が必要だろう。
いま話題の植物学者牧野富太郎がモデルの朝ドラ「らんまん」。
主人公、万太郎は地べたに腹ばいになってネジバナをみつめている。分類学者の目は、他とのちがいを観察しようと草花目線だからドラマでは腹ばい場面をやたら描く。ふつう、ひとは標準レンズで風景をみるが、接写レンズか顕微鏡が万太郎。とかく専門家はレンズを特定し、職業病に 陥る危険性がある。
私は“緑のまちづくり”の具現化をめざす造園家(Landscape Architect)である。標準レンズに加え、広角レンズや望遠レンズも自由に活用して、近景、中景、遠景、そしてパノラマ景をも大切にしたいと思っている。分化・分業化社会の現代で“トータルランドスケープ・美し国”を実現したい。
たまたま私は学術会議で環境学委員会初代委員長になり、そこで研究対象でレンズがちがうことの大きさに気づいた。氷中の微生物は電子顕微鏡、人間生活と都市は広角レンズ、宇宙惑星はアルマ望遠鏡、皆な環境研究だが、見方考え方は広範で多様。それぞれ自らの専門にこだわるのは、職業病かもしれない。
明治神宮林苑計画のエピソード
よって、土地自然の環境や歴史風土など地域性にこだわる風景デザイナーの造園家の職業病と、お許しをいただきエピソードをひとつ。
私の恩師でわが国造園学草創のおひとり林学博士上原敬二先生は父君が木材関連の仕事だったので東京帝大林学科にすすむも、大学院では“死んだ木ではなく生きている樹木を研究したい”と、指導教授本多静六博士に申し出て、明治神宮林苑計画に参加する。私の言い方だが、神宮内苑の林苑計画の技術的核心は、上原敬二の提案によるもので、「多様性に富んだ樹木の種類、高木中木低木の多層性に富んだ植栽設計施工によれば、50、100、150年と 時間の経過によって自然に生長し、やがて天然林のような極相林に到達する」というもの。実際、荒地に近い70余ヘクタールの土地が、現在鎮座百年の明治神宮の森に育っているのである。植物の力、自然の力は凄いもの、学術研究の賜物である。
生きている木への関心を!
その後、上原先生は、アメリカで誕生したLandscape Architecture (日本では「造園」)の研究とその体系化をめざすことになる。
上原敬二著『樹木大図説』(全4巻、 有明書房, 1959-1961)は日本中の樹木研究者の基本文献となり、その応用『樹藝学叢書』(加島書店、1961-1968)は造園家の座右の書となり後進の著作につながっている。
私は、樹木学の専門家ではない。それでも建築界のみなさんに、造園家としてお伝えしたい。それはウッドファーストの入口は“生きている自然としての「緑」=樹木”への関心、せめて些やかな愛情をお願いしたい!ということをである。
日本文化としての露地にも深い愛情をもたれた建築界の巨匠も少なくなかったし、西沢文隆氏のように造園家の何倍もの愛情を「庭」に持たれた建築家にもお会いしてきたが、現在活動されている建築士の方々の樹木への関心、知識、愛情は、そう強くないと感じている。どうも一般的な呼称の「緑」のイメージであったり、あるいは緑化材料として、建築施設を構成する一要素としての認識でしかない。
建築界のSDGs、生物多様性、カーボンニュートラルなど環境の世紀の教養として緑の多面的機能への概括的理解や素養の高さは十分承知しているが、上原の熱い思いー「生きている木への愛情」をぜひ共有していただけたらと願うのである。
生きている樹木は風景の骨格と麗しい風致の基盤
ちなみに、写真は初級のお願い。越前松平家の別邸「養浩館」にちなんだお泉水通りに面した駐車場を囲繞するベニカナメモチの生垣。騒々しい車道に面しての歩行者の気分を春陽の明るさにつなぐ植物のやさしさ。地域防災のためのコンクリートブロックとちがう生垣の効用などは、いわずもがな。ベニカナメモチの真っ赤な葉色はやがて濃い緑に、生垣一本で、季節の変化、まちの風景と気分を大きく変える力がある。みなさんの建築にふさわしい樹種を吟味してください。
こちらの書籍紹介は樹木など植物・植栽(プランティング デザイン)・植生(ベジテーション、植物群集としてのエコロジー)などへの入門書の一例。
生きている樹木は、風景の骨格と風致の基盤だが、花卉園芸などは、江戸のような都会で市民生活に彩りを与える。俳人の一茶と江戸の園芸文化の好著も紹介しておく。
広葉樹・針葉樹・常緑樹・落葉樹、など樹木の性質によって自然景観のちがいは民族が違うくらい多様だ。しかも樹種により、地方により同種でも場所により変化するし、新緑・深緑・黄緑・紅葉・落葉と季節による表情の変化も豊かである。「生きている木」が、鉄、アルミ、ガラスとコンクリートの無機質の環境下、現代人の「木の時代」への憧れをどれだけ満たしてくれることだろう。