「座り心地に御記憶ありませんか」-営繕という可能性-(後編) | 国産木材を活かす繋げる|MOCTION(モクション)

「座り心地に御記憶ありませんか」-営繕という可能性-(後編)

隈館長友人の皆さまによる寄稿コラム

内田 祥士(うちだ よしお)
1955年生 建築家、東洋大学ライフデザイン学部教授

主な作品
「秋野不矩美術館」 藤森照信+内田祥士(習作舎)
「妙寿寺庫裏」 内田祥士(習作舎)
「宮前の家」 内田祥士(習作舎)
「東洋大学人間環境デザイン学科実験工房棟(改修)」 久米設計+内田祥士

主な著書:
『東照宮の近代』 (ぺりかん社)
『営繕論』 (NTT出版)

大江宏デザインの椅子

 こちらは、過日の法政大学55・58年館の写真です。今回のテーマは、勿論、この校舎ではなく、正面にある椅子です。この椅子に取組み始めた頃、私の知識は「寿商店」が戦後始めて曲ベニヤを採用した教室家具であるというところまででした。そして、今、この椅子は廃棄されつつあるとも申し上げました。しかし、実はこの椅子にもデザイナーがいました。55•58年館を設計した建築家大江宏です。この事実は、過日、当学科の助手として学生のために尽力してくれた種田先生(法政大学OB)から伺って知った話です。ならば、私が再生した椅子は「寿商店」の座板と背板であると同時に、大江宏の作品であったということになります。

出典:大成建設「法政大学58年館」落成パンフレット1958.11 写真/村沢文雄

ブナの天然林まで動員された高度経済成長期

 5作目の製作過程では、もう一つ大きな発見がありました。それは、この椅子を作って下さった寺田製作所の寺田さんからの指摘でした。寺田さんは、再生に際して各材を丁寧に洗浄して下さったのですが、それを見ながら、これ「日本の橅(ブナ)だね」と話してくれたことで分かったことです。それを聞いて、はたと気が付いたのですが、この素材は先ほど御見せした旧朝霞キャンパスの椅子ではなく、川越の工学部キャンパスの校舎解体の折りに、私が当時の4年生と外したものでした。塗装の劣化から表面は既に艶を失い、最早、疲れきったいわゆる廃材との印象でしたが、それ故に日本の橅(ブナ)であったということです。当時は、素材の原産地等全く意識に無く、唯々、先程のテーマを糧に回収し保管したものでした。ちなみに、取り壊された工学部1号館は、建築家谷口吉郎の基本設計を基に昭和36年に竣工した校舎でしたから、確かに外材など輸入出来ない時代です。もちろん、今や、日本の橅(ブナ)でこの様な椅子を生産できる時代ではありませんし、輸入材なら構わないという時代でも無いはずです。

営繕の誤解

 ところで、「営繕」には、最初から先人がいるという事実は、逃れ難い現実です。そういう意味では、いくら懸命に取り組んでも、創造的な仕事ではないと批判する方もいらっしゃるでしょう。しかし、日本建築史には多くの場面で中国という先人が居ました。近代には西欧という先人が、戦後にはアメリカという先人がいました。ならば、「営繕」を蔑むのは、いささか残念な感情論ではないかと反論することも可能でしょう。或いは、近年の過剰なまでの需要喚起こそ、こうした感情論の成せる技、あるいは裏返しと捉える方が事実に近いようにも思えます。

営繕から木材資源を考える

 さて、私は、未だに木造は2階建までが相応で、耐火被覆には不燃材こそが相応しいと考える人間で、更に、研究対象としては今や建築の量産を一手に担っていると言っても過言ではない鉄骨造の営繕の方が興味深いとの印象です。従って、私の思考が国産材を用いた新しい木造の可能性に及ぶことは無いと思います。そういう人間から見ると、遂に国産材に手をつけざる得なくなったかという印象の方が強く、むしろ、ようやく世界の木材資源を自らの問題として見つめられる環境が整いつつあると考えたいところです。 

解体前に回収された椅子への期待

 ちなみに、55・58年館解体の折、「コトブキ」は、そこに使われていた椅子の調査を実施したそうです。その結果、初代の座板・背板は、全て外材の曲ベニヤに更新されていたとのことです。しかし、彼等は、これを回収したと伺っています。これが取壊し前の同館の写真です。確かに、外材も過日の様に自由に伐採できる時代ではありません。その貴重性は、国産材と変わらないはずです。たった2種類の曲ベニヤではありますが、その再生分野の広がりは、家具のみならずインテリアにまで及ぶはずで、しかも大江宏デザインです。今後の展開を期待したいところです。

歴史を繰り返さない 国産材利用推進を

 最後に、モダニズムの後ろ姿を見つめてきた1人の建築家として、都市再生特別措置法施行下、過剰なまでの容積緩和を糧に「希望の建設」に我を忘れているかにも見える日本市場においてこそ、国産材の可能性が声高に語られているとの認識から、事態を憂慮しています。私達が、寛永期の過剰伐採とその後の過酷な不法伐採取り締まりを経験して尚、戦中戦後の過剰伐採と間伐なき密植という歴史的経緯を避けられなかったからです。館長はじめ関係各位が、同様の事態を繰り返さぬよう主導されることを祈念します。

隈館長による解説

学生の頃からの友人である内田祥士さんからは、色々なことを教わった。

内田祥士さんはとても小さいところに注目して、そこをじっくり見つめとても大きな問題を抽出するという特別な才能がある。今回の小さな椅子はそのいい例で、そこから現代の大きな問題があぶり出されていく。