「座り心地に御記憶ありませんか」-営繕という可能性-(前編) | 国産木材を活かす繋げる|MOCTION(モクション)

「座り心地に御記憶ありませんか」-営繕という可能性-(前編)

隈館長友人の皆さまによる寄稿コラム

隈館長による執筆者の紹介

なんともなく見えた椅子に、こんな深い歴史が隠されていた。

木のおもしろさは、その材料としてのやわらかさから、足し算・引き算などの自由な改変が可能なことである。椅子のように小さなものまでが、この自由な改変と再生の対象となることを、内田祥士さんは見事に実践して見せてくれた。

内田 祥士(うちだ よしお)
1955年生 建築家、東洋大学ライフデザイン学部教授

主な作品
「秋野不矩美術館」 藤森照信+内田祥士(習作舎)
「妙寿寺庫裏」 内田祥士(習作舎)
「宮前の家」 内田祥士(習作舎)
「東洋大学人間環境デザイン学科実験工房棟(改修)」 久米設計+内田祥士

主な著書:
『東照宮の近代』 (ぺりかん社)
『営繕論』 (NTT出版)

椅子にまつわる物語

 これは、過日、私が設計した住宅の写真ですが、今日のテーマは、この住宅ではありません。見出しにもあるように、正面にある椅子の方です。これは、私が、今も取組んでいる椅子のシリーズで、建築作品を手掛ける機会が無い近年の私にとって、大切な表現フィールドになっています。

出典:新建築「住宅特集」2004.8月号

高度経済成長期に量産された教育現場の椅子

 次の写真の上がその図面、下がその原形です。戦後最初期の「寿商店(現コトブキ)」の量産品です。私立大学の講義室はもとより高校の視聴覚室(階段教室)にも使われていた記憶があるので、高度成長期に思春期を過ごした人々であれば、この椅子を知らない方を探す方が大変でしょう。これはそういう椅子でした。しかし、この椅子を優れた椅子として愛着をもって思い出す方はほとんどいないと思います。むしろ、出来るだけ早く交換されるべき椅子というのが一般的な認識でしょう。実際、隣の人はおろか端まで全員に立ってもらわなければ通路に出られない訳ですから、センター入試や共通テストには最も不向きな椅子です。ちなみに、下の写真は、過日の東洋大学朝霞キャンパスの214番教室ですが、朝霞キャンパスでもそのように見なされ、昨年、校舎とともに廃棄されました。こうした使いにくさの背景には、この椅子が高度成長期のマスプロ教育に最適化された椅子であったという現実があります。

教室の椅子を活かす2つのテーマ

 先程の写真の椅子は、工学部時代の試作で、重量感はあるのですが接合部の剛性が不足気味で、もう1脚しか残っていません。このシリーズには、2つ、テーマがあります。まず第一に、曲ベニヤは高価な技術であるという技術観です。私が、座板・背板をデザインし、それに合わせて金型を製作するとしたら、それこそ気の遠くなるような金額になるはずです。それが、全てただで手に入るという考え方です。第二に、この写真の様に、座板は座板、背板は背板とした上で、更に、背板2枚をこの様に裏返して肘掛け風に用いるという点です。因に、このCGは、私の工学部時代の研究室のOBで、隈研吾建築都市設計事務所の初代CG担当として腕を磨いた浅古先生の作品です。

端正なダイニングチェアーに生まれ変わる

 このシリーズ、5作目に至って、ようやく、素材が私のものになり、一応のレベルに達しました。そんな印象を持っています。それが、この写真です。座板・側板・背板の剛性を連携させることが出来る様になり、後脚の繋ぎがなくなりました。ここがちょっとシャレてるんですが、同僚の話では、背板の下端が空いている椅子は、 女性が小物入れを背中に挟んで座れないので オフィシャルには使えないとのことです。と言う訳で、これは家庭用のダイニングチェアーということになりますが、書斎の椅子としても中々の使い心地です。皆さんに「座り心地に御記憶ありませんか」と申し上げられる段階に至った訳です。勿論、その座り心地から、その出処を探ることはできないと自負してのお伺いです。

「営繕」特有の面白さ

 更に、5作目を見て頂ければ、次のように申し上げても御理解頂けると思いますが、先程の2つのテーマを糧に、私が目指したのは、今だ貧しかった昭和30年代初頭に、曲ベニヤを用いた最初期の既製品として販売され、量産され、その量故に知られ、その量故に忘れ去られ、すでに、更新時期を過ぎたかにも見える椅子を高級家具に再生するという夢でした。ここに言うところの「再生」とは、勿論、私がしばしば用いる「営繕」と同義語です。古い部材を用いてはいるが、新しい椅子であるという意味です。この椅子の元になった製品を販売したのは、先ほども申し上げた通り、現在の「コトブキ」です。従って、曲ベニヤは全て「コトブキ」の製品ということになります。どんなに頑張っても、この現実を克服することはできません。しかし、同時に、私の作品でもある訳で、ここに「営繕」の現実と可能性、そして特有の面白さがあります。