隈館長による執筆者の紹介
腰原先生は日本の木構造のリーダーのひとり。教育だけではなく、実践を手がけるアクティブでフットワークのいいリーダーです。
腰原先生は単なるエンジニアではなく、伝統建築の木構造にも詳しく、その意味では歴史家的な意見ももっています。特に解説を担当された名著「日本木造遺産」はお勧めです。日本全国に散らばる過去と現在の木造が一つのプラットフォームの上で並行に論じられた画期的な本を、腰原先生は構造学の知見で下支えし、より深みのある書物に仕上げられていました。
腰原 幹雄(こしはら みきお)
1968年 千葉県生まれ
1992年 東京大学工学部建築学科卒業、2001年東京大学大学院博士課程修了、博士(工学)
構造設計集団〈SDG〉、東京大学大学院助手、生産技術研究所准教授を経て、2012年 東京大学生産技術研究所・教授
NPO team Timberize前理事長(理事)
構造の視点からさまざまな材料の可能性を追求中。
著書
「日本木造遺産」(世界文化社)(共著)、「都市木造のヴィジョンと技術」(オーム社)(共著)
「感覚と電卓でつくる現代木造住宅ガイド」(彰国社)
構造設計
下馬の集合住宅、幕張メッセペデストリアンブリッジ、八幡浜市立日土小学校耐震改修、油津運河夢見橋、金沢エムビルなど。
さまざまな木造建築
木造建築というと何を思い出すだろうか。法隆寺、東大寺大仏殿、京町家、茅葺屋根の農家など人それぞれだろう。法隆寺を代表とすれば、日本には1400年以上の木造建築の歴史があり、伝統木造建築は、日本の文化財としても誇るべき建築である。しかし、木造建築は、伝統木造建築だけでなく、明治時代の近代化の中で、大規模な工場や倉庫も木造建築で実現しており、これらは、近代に西洋から入ってきた近代建築の思想に基づいたものになっている。西洋では、近代建築を鉄とコンクリート、ガラスといった新しい材料で実現したのに対して、日本では歴史的に用いられてきた木材も積極的に使用されてきた。新しい時代、新しい生活様式の中で、新しい用途の建築をつくりあげることは、容易ではなく近代木造は、西洋の鉄骨造の構造システムを真似るところから始まっていた。つまり、経験学に基づいて発展してきた伝統木造建築の流れから一旦外れて、構造工学に基づいた木造建築の流れが生み出されたのである。しかし、その後、都市の不燃化、近代化の中で木材資源不足と火災に弱いということで大規模な木造建築の建設は制限を受けることになってしまい技術開発は中断してしまった。再び、大規模な木造建築が注目されるのは、1987年の大断面集成材の整備によるものである。美術館や博物館、体育館やドームといった大屋根の平面的に大きい建築と3階建ての木造建築が再び登場することになる。2000年に建築基準法が改正され性能規定化されると木造建築の建設制限はほぼなくなり、3階建てを超える中高層建築でも、あるいは超高層建築でも、どこにでもどんな建物でも要求性能を満足すれば建設可能となったのである。木造建築は、それぞれの時代の生活スタイルと生産システムに応じて変化してきており、木造建築の可能性は無限にあるのである。
なぜ都市木造か
これまで、木造建築は「地産地消」を合言葉に、森林資源の豊かな地域が地元の木材を用いてその地域に木造建築を建設することが普通に行われてきた。一方、全国的には、2階建ての戸建ての木造住宅が年間100万戸近く建設されてきた。木造建築は、こうした需要に支えられてきたのである。しかし、森林資源が豊かな地域では、多くの建設需要を見出すことは難しい。また、人口減少とともに木造住宅の需要拡大も難しい。となれば、新たな木造建築の需要拡大としては、これまであまり木造建築が建てられてこなかった地域、用途に利用する必要がある。そこで、注目されたのが都市木造である。「地産地消」から「地産都消」としての木造建築である。地産地消は、目の前で森林の恩恵を受けている人たちの活動としてわかりやすいが、実際は都市部もさまざまな森林の役割の中で森林の恩恵を受けており、その維持に貢献する必要があるのである。
都市に木造建築が建つ。その違和感は、都市木造の存在そのものが、森林に縁のない人にも国内の森林について考えてもらうきっかけとしての役割を果たしているのである。
都市木造を考える
都市部に求められる木造建築とはどのようなものだろうか。都市部では、土地の価値が高いため当然、高密度な建築が求められる。必然的に、多層、中高層の建築が求められることになる。しかし、日本の長い木造建築の歴史の中でも、多層、高層の木造建築の技術はほとんどないため、どんな建物を、どのように木を使っていくのか、これから都市の風景の将来像をイメージしながら、技術開発、技術整備をしていく必要がある。