青井阿蘇神社プロジェクトでの地域産材の利用(前編) | 国産木材を活かす繋げる|MOCTION(モクション)

青井阿蘇神社プロジェクトでの地域産材の利用(前編)

隈館長友人の皆さまによる寄稿コラム

隈館長による執筆者の紹介

江尻さんとは長いつきあいで、木の建築に限らずたくさんの建物を一緒につくってきた。

その長く豊富な経験を、一度文章の形でまとめてくださったら、きっと後進のためにも大変役にたつ資料になるのではないかと考えて、今回お願いしてみたのである。木というのは生き物なので、これを相手に構造計算という数学的な操作を行うというのは、実はある種の矛盾を含んだ行為とも見える。江尻さんはその矛盾をものともしない強い精神力をもっている。

江尻 憲泰(えじり のりひろ)
1962年東京都生まれ。
‘86年千葉大学工学部旧建築工学科卒業。’88年同大学大学院工学研究科修士課程修了。
同年(有)青木繁研究室入社。‘96年 (有)江尻建築構造設計事務所設立。
現在、日本女子大学家政学部住居学科教授、早稲田大学非常勤講師。

構造作品
アオーレ長岡、富岡市新庁舎、静岡理工科大学建築学科棟、石垣市新庁舎ほか

文化財改修
清水寺、善光寺経蔵、富岡製糸場西置繭所ほか

地域産材との出会い

 設計段階から地域産材に最初に注目したのは、新潟県長岡市の2つの小学校を統廃合した新設和島小学校のプロジェクトからで、今から20年ほど前の2002年頃であった。新潟の地域産材(すぎ)を利用するにはどうしたら良いかを設計関係者で考えたのであるが、何をどうすれば良いか全く解らなかった。当時、県産材を使っていこうという気運はあり、パンフレットなどもあったが、どこに行けば入手でき、木材をどう管理すれば良いか、入手元を証明できるのか等を県や森林組合に相談してもどうしたら良いか解らない状況であったことを記憶している。地域産材の特徴を知るべきという思いはあったが、特徴を知って使うこととは程遠かった。
 当時、製材の切り出し方は解らなかったが、乾燥の方法が重要であるという認識は文献から持っていた。まずは、長岡造形大学の後藤哲男名誉教授と近隣の山に連れて行ってもらい、積まれた木材の状態や径を計かるところから始まり、大学で強度試験を行うスキームを作り対応した。
今でも地域産材を使うことについては、世間の理解はそれ程変わらないが、この数年は先導事業の木造ビルや国産木材を使用した都市の木質化が進みはじめ人々の関心の高さは大きく違ってきた。

長岡市立和島小学校

「水害に負けない」
地域の想いが進める青井阿蘇神社修復プロジェクト

熊本豪雨時の青井阿蘇神社(2020年)

 ここで紹介する隈さんとの仕事は、今年度施工を開始したばかりの熊本県人吉市にある青井阿蘇神社のプロジェクト(仮称「青井の杜 国宝記念館」 )である。青井阿蘇神社は、昨年度の大きな水害で、本殿や新築の社務所が予定されている部分については水没を免れたが、入り口の鳥居は貫下まで水没した。当時は計画がストップすると思っていたのであるが、1年半後に何事もなかったかのように計画が再開した。人吉の人達の不屈の精神には脱帽である。

木材を通じて800年越しの意志を受け継ぐ(1)

 本プロジェクトでは、様々な樹種の材を使っている。土台はひのき、柱はすぎ、梁はベイマツという類型的な使い方ではなく、様々な状況を踏まえて材を使っている。
 そこで大きな役割を果たしたのが地元の木材コレクターの藤田勲氏である。藤田氏は木材関連の仕事ではないが、専門家を超える木への愛着と知見を持たれている。驚くほどの量と種類の木材を所有し、青井阿蘇神社のプロジェクトに木材を提供して頂いた。熊本豪雨の前のある日、我々は木材を頂くために藤田氏の倉庫に行った。倉庫には興味深い木材が多くあったが、その中でも色艶の良い目の詰まった製材された杉材があった。隈さんがこの材を気に入り藤田氏の了解を得てこの木材を使うことになった。

青井阿蘇神社 本殿(国宝)
挟野すぎの丸太

 また、熊本ではないが、宮崎県狭野神社境内の倒木を藤田氏が購入し保管していた。その倒木は見事な狭野すぎだった。隈さんは丸太のまま使いたいとのことで、構造を担当した我々は丸太のまま使うために動き始めた。
 手始めに熊本県の林業試験センターに強度試験の協力を依頼した。強度試験については狭野すぎだけでなく、人吉市からはるか遠く球磨川水源の市房山にある市房すぎも調べた。