涌井 史郎(雅之)(わくい しろう)
湧井史郎(わくい・しろう)、本名雅之。造園家。東京農業大学農学部造園学科に学んだ後、(株)石勝エクステリアを設立。国際博覧会「愛・地球博」会場演出総合プロデューサーはじめ、ハウステンボス、首都高大橋ジャンクションなど多くのランドスケープ計画に携わる。国連生物多様性の10年委員会・委員長代理、新国立競技場事業者選定委員会・委員ほか、国や地方公共団体、各種委員会組織を歴任。現在、東京都市大学特別教授、岐阜県立森林文化アカデミー・学長。
1993年日本造園学会賞設計作品部門「ハウステンボスのランドスケープ計画・設計」(池田武邦・涌井史郎)、2017年日本造園学会上原敬二賞、黄綬褒章。
著書
「いなしの智恵 日本社会は「自然と寄り添い」発展する」(ベストセラーズ ベスト新書)
「なぜ一本の松だけが生き残ったのか 奇跡と希望の松」(創英社)
「景観から見た日本の心」(NHK出版)
NbSの思想と森林
そうした森林や木材に対する畏怖・尊敬の証が1300年も途絶えることなく20年ごとに挙行され続けてきた伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)である。そのご遷宮には約1万本以上のヒノキが用いられ、その御用材は神宮宮域林、木曽や中津川の神宮備林「御杣山(みそまやま)」から伐りだされる。論者も2033年の式年遷宮のため、2017年10月中津川で挙行された御用材を伐りだす神事に出席したが、伝統的伐採儀礼「三つ尾伐り」や伐木した切り株に再生を願うために若枝を差す「鳥総立(とぶさだて)」などを目にし、自然を敬い、その再生循環を願う心が如何に長きに亘り我々日本人に受け継がれてきたのかを実感した。
また幸いにして職業柄、全国の中山間地を旅する機会に恵まれている。そうした中山間地には往時に地域を経済的に支えた醸造業など大型の古建築物が残されていることが多い。その内部に足を踏み入れると、素晴らしい木材による架構構造に出会う。そうした建築物は例外がないほど地域の風土性に寄り添い風景の添景物として美しい。つくづく自然、そしてそこから生まれる素材をとことん生かすといった、途切れることがない自然共生の文脈に支えられていればこその美しさであり、トポスの知恵である。
論者は「景観十年・風景百年・風土千年」と主張する。その論拠は、優れた景観美を備える地域は、その土地の景観物の全てが風景に溶解されるように、地場材料を尊重して構築され、地域の独自の風土性を文脈として可視化された佇まいを見せているからである。
例えば、歪曲した材がそのまま架構構造の梁となり、屋根裏を覗けば、まるでこれでもかと設計図では描き切れぬフラクタルで複雑な構造を有している。それは地場材料で全てを賄う覚悟のデザインといって良い。それは構造体だけではない。壁もまた同様でその土地に産した竹や稲わらで下地が組まれた構造に、その土地の土を塗り込め、表面には構造柱や梁に塗布された柿渋をしみこませた和紙が用いられる事例も多い。
東寺の五重塔や、地方の大天守の屋根裏を覗くと、その多くが、まるである種のパフォーマンスなのではないかと思えるような複雑多岐な構造を見せつける。片や文化財建築。もう一方は、片田舎の無名建築物。その双方に共通するのは、周囲の自然の木材や土そして石などの素材を生かしきり、歴史という時間に劣化するのではなく、むしろ周囲の風景に溶解する経年美化という価値を生み出し、途切れることのない風景の伝承、そして創造にさえ作用することである。
この国には、建築物や土木構造物のみならず、土地利用においても、その土地の自然特性に抗わず、風土に寄り添う自然共生の営みがそこ此処に可視化されている。
まちや集落の外観には「野良」という人為的採草放牧地が広がり、用途により立木の種が選別された「里山」が広がる。それらは燃料や肥料供給の源として手入れされる。そうした自然の直接利用の空間、野良や里山の外郭には「外山」「奥山」そして「嶽(たけ)」が存在する。こうした外郭の空間は、神仏が支配する空間と考えられ、いたずらに人々が介在することを禁忌とする。
つまりこうした人為的攪乱を常にした自然地と、限りなく人為を排除した空間の両立が、恵沢と災害などの激しい自然の応力をしのぎ、いなし、寄り添うための最善の策であることを識るからである。こうして人の営みの周囲には優しさと厳しさ双方の風景が季節と共に展開する。建築物も土木構築物、そして農耕地も全てが自然共生という哲学に貫かれ、それぞれが風土との語らいを忘れない。それがその土地らしさを謳いあげ、それらすべてを包摂した美しい国土が形成されて来た。
しかもこうした木造建築物に代表される構築物は、全て再生可能を当然とする設えとなる。例えば鑑真和上が759年に建立した唐招提寺のエンタシスの柱を見ると、再生の足跡、つまり朽ちたところを埋木で補修した痕跡をそこ此処に見て取ることが出来る。また明治初年の廃仏毀釈運動であわや灰燼に帰す可能性のあった寺院。そして経済的理由など様々な状況から建立地に置けない建築物が、時の権力者や富貴な人々の手により移築され今日に残されているのは、経年劣化を排し経年美化を当然とする設えが内包する技と知恵があればこそ可能であったと言えよう。
まさにこうした一連の思想、そして匠たちの技は、世界が標榜し望むべき方向、NbSのモデルそのものではなかろうか。
再び持続的未来に貢献する森林
陸域の31%を占める森林は、光合成により大気中の二酸化炭素を吸収し成長し、さらに伐採され木材として使用されている間も貯蔵されたままとなる。地球の森林を主とした自然条件下でのCO2の吸収量は31億炭素トン/年であり、それに対して近年の人為的CO2排出量は、少なく見積もっても72億炭素トン/年と言われている。差し引き41億炭素トン/年が行き場を失い気候変動など地球環境の平衡状態を大きく歪める。
そうした認識が、昨年末のCOP26において、パリ合意に基づいた具体的展開の手立てについて合意形成に難渋し、結論が持ち越される事態を招いたが、唯一吸収源としての森林については前向きな合意が得られ、高く評価される結果となった。
その内容は「森林及び陸域生態系の保全とその回復促進」、「持続可能な開発、森林減少・土地劣化を助長しない持続可能な産品生産・消費を促す貿易・開発政策の促進」、「収益性の高い持続可能な農業の開発、森林の多面的価値の認識等を通じた脆弱性軽減・回復力向上・農村生活向上」等々である。
とりわけ「持続可能な農業、持続可能な森林経営、森林の保全と回復を可能にするための官民による多様な資金源からの資金・投資の大幅な増加」や「森林の損失・劣化を好転させるための国際的な目標と資金フローの整合を促進」がグラスゴー・リーダーズ宣言に結実した意味は大きい。
地球環境の人類生存の基盤としての環境のティッピングポイントが迫る中、我々は改めて森林と木材の健全性の維持と利活用に目を向け、吸収源としての機能や、再生循環を前提としたサーキュラーエコノミーやシェアリングエコノミーの社会実装に大きく舵を切る必要に迫られている。木材の利活用はその象徴であり、しかも前述したような日本が伝統的に継承してきた文化に刻まれたある種のモデルを世界化することは、日本の義務であり、2010年の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)において掲げられた「2050年・愛知目標=人と自然の共生(Living in harmony with nature)」を率先して社会化することを、森林や木材そして木造建築の世界から貢献したいと考えるのは論者だけであろうか。
隈館長による解説
木について考えていくと、つまるところ、人類の歴史、哲学的な論考に行きつく
射程の長い話を期待して涌井先生にお願いしたのですが、僕が期待していた以上に、奥行きの深い話をいただくことができて、感激です。これだけ深くて哲学的な木材論、森林論はなかなかお目にかかれないので、僕はこれを宝物として、様々な機会、これといった勝負所で、使わせて頂こうと思っています。それだけの価値のある論考です。「木の建築は気持ちがいい」とか、「森の中にいるといやされる」とかいう直観的なレベルの話も、もちろん無駄ではないのですが、木について考えていくと、人類の歴史といった、何10万年スケールでの哲学的、論理的な話にまで行きついてしまうのです。そういった奥行きを、涌井先生の論考で、堪能して頂けたらと思います。