梅原 真(うめばら まこと)
高知市生まれ。高知県在住。梅原デザイン事務所代表、武蔵野美術大学客員教授。
「土地の力を引き出すデザイン」をテーマにデザインする。かつおを藁で焼く「一本釣り・藁焼きたたき」。柚子しかない村の「ぽん酢しょうゆ・ゆずの村」。荒れ果てた栗山の再生「しまんと地栗」。4Kmの砂浜を巨大ミュージアムに見立てる「砂浜美術館」。四万十の鮎を原稿料に「水の本」。高知の森林率84%を自慢する「84プロジェクト」。秋田美人を資源に「あきたびじょん」。島根県の離島・海士町のアイデンティティ「ないものはない」のプロデュースなど。農水省の支援を受け、一本の川全体の生き方をブランディングする「しまんと流域農業organic」進行中。MBA (Master of Bunkou Administration)が取得できる、実技と座学の学校「しまんと分校」準備中。武蔵野美術大学客員教授。
主要著書
『土佐の味 ふるさとの台所』(高知県農業改良普及協会)、『ニッポンの風景をつくりなおせ・一次産業×デザイン=風景』(羽鳥書店)、『梅原デザインはまっすぐだ!』共著:梅原 真・原 研哉(羽鳥書店)、『ありえないデザイン |クリエイターの見方と考え方1ソリストの思考術』(六耀社)、『おいしいデ』(羽鳥書店)、『わらうデ』(羽鳥書店)
受賞歴
毎日デザイン賞特別賞受賞(2016)。
森林の荒廃は、県民の生活環境の問題。だから県民みんなで森や山を守っていこうと、高知県は2003年、日本で初めて「森林環境税」を創設、導入した。
2005年。今度は、環境先進企業に向けて「森の大きな力を再生するパートナーになってください」と「協働の森づくり事業」をスタートさせた。この仕組み作りと設計デザインを、県の担当者と一緒に考えたことから高知の森と関わることになり森林率84%を知った。
「協働の森づくり」は、企業の森に対する知識がなく、「間伐」を「なぜ木を切るのか?」と質問され、スタートはハラハラしたが、数年後には74団体がパートナーズ協定を結んだ。それぞれの「企業の森」が吸収するCO2の量を、その森の広さに応じて高知県の算定方式で計算し、感謝をこめて「CO2吸収証書」をお渡しする。つまり「企業の貢献度を可視化する」という行政としてはフレッシュなアイデアとなった。おどろいたのは、これは、高知県文化環境部・環境共生課のプロジェクトであり、この時「森林」は「文化」に位置づけられていた。県は「木の文化県構想」を推進していたのだった。
「84プロジェクト」はそんな環境の中で生まれた。「高知県は84政策を推進します!」と「うどん県」のように、全国に宣言する場面をシュミレーションしていた。一種の政策提言だったが、時は移り変わり、ユタカサの座標軸は「文化」から「経済」に変化していった。
それ以来、8月4日は84会議。「84プロジェクト」は民間の運営組織となり、自由に森を面白がる会議を続けている。
第1回。賛同者による「あたらしいユタカサのスイッチをONにする」。369種の木の名前を覚える「スプーンの森」。フランス「木の大学」に在籍する日本人学生のレクチャー。林業にかかわりたい女子の「林業女子」。家族で林業を営む「小さな林業の人々」。こんなふうに知りたいことを知る会議となっている。
「84の森もよいが、0.84の森も考えてみたら」と提案をくれたのが「仁淀ブルー」の写真家・高橋宣之。高知には原生林の森が1%ある。つまり0.84の森なのだ。森林を語るなら、原生林からの視点も持つべきだというのだ。原生林とは、「人間の手が一度も入ったことが無い森、自然の力により生長していく森林」のこと。
さっそく「0.84会議」が開催された。年間300日は森の中にいるこの人のリアリテイは迫力があり、一人の写真家から本当の森の深さを学んだ。この人は人工林を「すぎ畑」、「ひのき畑」と呼んだ。
美術館ホールは満席、子供から大人まで森が好き、森が気がかりなのだとわかった。 経済発展のために真っ直ぐな木を日本の隅々に植えた。そんな「ひのき畑」「すぎ畑」が何十年も使われず目の前にある。
高知県黒潮町。「この町にはなんにもない」と町民が言った。そこには4kmの砂浜があった。松原があり、らっきょ畑があり、鳥の足跡があり、沖には鯨がいた。これらを「作品」だといいはり「砂浜美術館」と名づけたらステキな空想美術館ができた。空想をデザインすればよい。
軽風でも発電する小型風力発電に出会った。プロペラには太陽光発電樹脂が塗ってあり、無風時でも発電する。このプロペラを「84竹」で作る。「84風力発電」。この町の避難タワーを利用する。「竹」と「風」。「山」と「海」。のマッチング「84風力発電」。84プロジェクトという空想はまだ続いている。